ドキュメンタリー いのちの林檎
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木村秋則さんの林檎

木村秋則さん

image1949年青森県弘前市生まれ。弘前実業高校卒業後、首都圏の会社に勤務。1971年に故郷に戻り結婚、林檎栽培を中心にした農業に従事。農薬で妻が体を傷めたことをきっかけに、1978年頃から無農薬・無肥料の林檎栽培を模索。十年以上無収穫の日々が続き苦難の道を歩みながら、17年後ついに完全無農薬・無肥料の林檎栽培を確立した。木村さんの林檎畑は、ジョナゴールド、紅玉、王林、ふじ等600本が育っている。

よく頑張ってくれたなぁ、ほんとありがとう、
 こんなに大きくならなくてもいいのになぁ。
ありがとう、 ありがとう

木村さんは、常に我が身を林檎に置き換えて話しかけて育てている。

木村秋則さんのアハハ語録

  • でっかい虫メガネでただこうして虫を見るだけなの。脇から見たらバカじゃないかと思うかも知れないけど、おもしろいのな、虫見るのアハハ、ハ、
  • タマゴをみても、どれが害虫で益虫か分からないのでタマゴを皿に乗せてどんな虫が生まれてくるか見たわけです。そうしてる内に、皿の虫が孵化したのも忘れて,押入れが全部、虫だらけになってしまったの。アッハッハッハ。
  • でも虫の顔をよくみると、益虫は怪獣みたいなおっかない顔してんのな。害虫はみんな可愛い顔してるの。ハッハッあっあっあ!
  • 小さい時から、猫がそばにいて猫に育てられたようなものです。両親が田んぼ行く時もな、猫に私の子守をさせてたの。だから今も猫がいっぱい家に寄ってくるのハハハ、ハ あっあっ
  • 林檎の木だって、野菜だって同じ、やさしく接してくれる人を待っているんですよ。きゅうりな、幼稚園の子の指に蔓が巻き付くのな、でも農薬撒いてる農家さんには巻きつかないの。不思議だな、ハハハ、アハハ
  • オノ・ヨーコさんと会うって聞いてな、わたしドキドキして前の晩眠れなかったの、でも会ってみると、ちぃっちゃくて、声が小さい人なのな、それでわたし話できたの、あはは、はぁはぁ、ハハハはぁ

木村秋則さんの激動人生語録

  • いろいろ試行錯誤してこの栽培をやってきたけど、一個も実らない畑の姿、家族の生活、それから世間からの嘲笑、八方塞りの自分、何一つ結果が出なくて、林檎の樹に自分がどうしたらいいのかと聞きたかった。
  • いまは一円も失くしてしまって、かにしてください(堪忍してください)・・死んでお詫びします 私は岩木山に登りました。
  • 土は柔らかくて、ふかふかしてました。もしかしたら、これを再現したら林檎は生きるんじゃないか、首を括りにいったのに、それも忘れて、一目散に山を降りて帰ってきました。
  • 子供たちには不敏な思いをさせました。あれが欲しいこれが欲しい、欲しいものがあるのに何一つおねだりしないの。女房もお金がないから、5円のチョコレートを3人に一つずつ買ってやったの。そしたら、自分の机にしまったまま、いつまで経っても食べないの。情けない親父でした。

木村秋則さんと林檎の気持ち


『リンゴの絆』
写真提供 山崎隆シェフ
  • 私の言葉、林檎の葉っぱが枯れて、落ちた時、一個だけでもいいから実らしてくださいとお願いしたわけですよ。今度は枯れて木がグラグラした時、実らなくてもいいから、どうか枯れないで下さい、そういう言葉に変わりました。私が言ったことを、樹の心が聞いて下さったんじゃないかなと、そう思うのです。

 


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